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身近な野草についてあれこれと・・・。 日本の山野草を種子から育ててみませんか?

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たねつけばな 種漬花 アブラナ科

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 クレソンを小さくしたような姿のタネツケバナは、ナズナ以上にありふれた雑草という印象の強い野草です。秋から春の間にカラカラに乾かない所なら、町の道端から公園、空き地、郊外の田畑、かなり標高の高い湿地や渓流沿いでも見られます。
 我が家のプランターや鉢の中でも毎年いつの間にか生えてきて、春一番に小さな小さな花を咲かせています。私はこの春の使者を、むやみに抜き取らずに必ず何本か残すことにしています。さほど邪魔なものではありませんし、どうせ桜が散る頃には種子をこぼして枯れてしまいます。

 かつては春先にタネツケバナが咲くと、稲の種籾を水に漬け込んだそうです。この頃に水に漬け込むことで発芽が誘引されるのです。やがて桜が咲くと田起こしを始め、郭公が鳴くと田植えと、人間は昔から自然と対話をしながら生活をしてきました。季節を決めるのは暦や気温ではなく、環境と生物の関わり合いでした。
 でも急速に人間と自然の関わりが薄れつつある現代のこの国では、人間の都合だけで作られた、まがい物の季節が幅をきかせるようになりつつあるようです。

 この草は別名をタガラシ(田芥子)と言い、葉を齧るとピリッと辛味があってなかなか美味しいものです。クレソンと同じように使えますが、味はタネツケバナのほうが上です。茎は少しすじがあるので、葉の部分と芽先を採ります。サラダに添えて黙って出されたら、絶対に雑草だなんて気付かないと思います。小さい草ですが、いくらでも生えていますので、一食分を集めるぐらいなら手間はありません。
 
 タネツケバナの繁栄の秘密は、徹底した隙間戦略にあります。まず体を小さくして省スペースを実現しています。次に他の植物の枯れている冬に成長するために、ロゼットになり、寒さをしのぎつつ力を蓄えます。花が咲いてから、種子が熟すまでの期間が短いのは、他の特物の芽出しに先んじる戦略ですが、そのために受粉した雌しべはすぐに伸び始めて、花の真ん中から突き抜けてきます。そして競争の激しい春から秋の間は、種子の状態で眠ってやりすごします。(タネツケバナの生活については八木澤先生の教室をご覧ください。画像付きで詳しく解説されています。)

 小さな体に秘められた強い生命力と巧みな戦略で、この国の人間の生活とも折り合って繁栄を続けてきたタネツケバナ。
 しかしこのわずか十数年の間に事態は急展開しています。都市部を中心に、勢力が急速に衰退しつつあるのです。そしてその原因を作っているのはやはり人間のようです・・・。
 先日十数年振りかで、淀川下流に架かる十三大橋のたもと辺りの河川敷を歩いてきました。
 私が小学生の頃には広々とした薄の原でバッタやカマキリを採り、蒲の生える水溜りではミズカマキリやおたまじゃくしを掬い、川の淵の葭原でもずく蟹を捕まえたものでした。
 今では薄の原は芝生に張り替えられ、花壇やゴルフ場が整備されてすっかり様変わりです。人間に居心地は良くても、生き物達にとってはどうでしょうか?子供のころ捕まえたハンミョウは今でも堤防の上を飛ぶのでしょうか?水溜りにはまだウナギが渡って来るのでしょうか?

 陽だまりで土筆や蓬を摘む人があるのは、昔と変わらず少しほっとさせられました。
 雲雀がかしましく鳴くのも相変わらずです。ツレアイは「銭くれ銭くれ」と鳴くと言い張るのですが、全然そうは思えません。
 そんな中で、タネツケバナも昔のままに沢山生えているように見えました・・・。


 
 でも近づいてみるとちょっと様子が違います。どの固体も花が咲いているのにロゼット葉が残っています(上の画像)。タネツケバナのロゼットは花が咲く頃には枯れてなくなっているはずです(下の画像)。



 これはどういうことかと言いますと、淀川の河川敷で見たロゼットのある固体は、ミチタネツケバナという外来の帰化植物なのでした。芝生をいつまで歩いてもミチタネツケバナばかりで、在来のタネツケバナは見つかりません。
 うちの近所の公園ではいつのまにかミチタネツケバナが繁茂して、在来種が見られなくなっていました。梅田近くの扇町公園や、中之島の芝生でもミチタネツケバナばかり。実は私が河川敷を訪れたのは、タネツケバナを探すためでした。それがほとんどそっくりなくなって、ミチタネツケバナと入れ替わっていたのです。

 ミチタネツケバナがこの国には1988年に渡来したとされていますが、後に標本を精査した結果、70年代には鳥取に上陸していたことがわかりました。その後僅かの間に猛烈な速度で勢力を拡大し、今は芝地を中心に全国を席巻する勢いです。
 反対にタネツケバナは都市部では勢いを失っています。

 このように在来種と外来種の勢力の交換現象が起こると、原因として植物間の競合の結果、弱い在来種が強い外来種に追われたと短絡しがちです。実際にそのような例もあるでしょうし、このタネツケバナの場合でもその側面があるかもしれません。 
 しかしこの場合はもっと重要な要因があると思います。 
 70年代から90年代にかけて、全国的に土地利用が急速に進みました。野原や湿地・藪はどんどん開発され残った空き地も「整備」されて「芝生」の植わった公園となりました。そして公園は芝と園芸種以外は雑草として排除したため、多くの在来の野草は住処を根こそぎに奪われることになりました。そうして野草にとってほぼ真空状態となった所へ、輸入「芝生」と共に渡来した外来種が一気に増殖することになります。これらの外来種は輸入芝生に混入してきたものであり、当然輸入芝生との相性がよく、芝生が維持拡大されれば在来種との競争でも優位に立ちます。さらに本来は湿潤であった国土は都市部を中心に舗装・築堤による乾燥化が進行し、湿潤な環境に順応していた在来種にとっては、住みづらいものとなってしまいました。つまり在来種と外来種の交換の原因は、人間による自然の改変による側面が極めて大きく、またその拡大も人為的なものだと言って良いと思います。
 最近は自然保護の機運も高まりつつあるようですが、生態系の乱れの原因を未だに侵入生物に責任転嫁しようという傾向が多く見られます。しかしこの国に関しては少なくとも90%は人間の責任であり、乱れを増幅しているのも私たちです。

 芝生で敷き詰められた河川敷の公園に、どうにか残された小さな水溜りを覗くと、ミジンコが泳ぎまわり蛙の卵も見つかりました。その淵のわずかなぬかるみでようやくタネツケバナを見つけることが出来ました。
 タネツケバナは強い植物なので、今のところは都市から撤退してもいくらでも安住の地はあるでしょう。しかし何時の日か人間が追い詰めて滅ぼしてしまうかもしれません。無自覚に、無責任に。少なくとも人間にはそれだけの力があるのですから。
 もしそうなったら、ただの雑草の一つぐらい、いなくなっても平気でしょうか?それとも目障りな雑草が消えうせて清々するでしょうか?
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